esukaransio’s blog

アウトプット練習しようと始めました

推しが・・・・と泣き出す娘の話。

また娘。
ティーンで、思春期、多感で、世の中を行き詰まった暗い世界だと捉えているように私から見える彼女。
顔色悪く、表情が暗いし目も会わせない状態でただいま・・・。

どうしたんだろうかと、食事を準備しながら聞くと。
推しが引退すると。引退理由がちょっとネガティブな感じでらしい。ぽつぽつ話しながら、泣き出した。

悲しいよねえ。
悲しいときは悲しくて良い。
泣きたかったら我慢しなくて良い。
とぼんやり思う。

以前は、子どもの悲しい様子は、見ていて私が苦しくなって、気を紛らすように声かけたり、機嫌をとったり、気分転換させようとしたり、したなあ。
自分の無力さを嘆いたりもした。

悲しいことや逃げたくなるようなことを在るよなあと痛いよねえとそのまま置いておける感覚がいまはある。年を重ねて、様々な出来事を経ていく必然を感じるからだろうなあ。

ありのままで良いと周りをみていることが増えてきた。そう言う時間が増えると自分もほっとする。結局、ありのままでしかいられないから。

海辺のハマゴウ



推しとの別れ。

母は回想する・・・・
私にも同じような年代にあったなあ。

 

F1が好きで、レーサーがレース中に事故で・・・。ショックだったなあ。しばらく突然泣き出すような日常をおくったなあ。だからどうというわけじゃなくて、似たような体験在るなあっておもいだすなあって話したら、
よく翌日に学校行けたねって言われた。たしかに。
だけど、何があっても日常は続いていくんだよねえ。流されていただけかもしれないけど。とか話す。

 

 


別れは避けられないから、今したいことよーく見極めてかなえていけるといいなあ。
別れは、そういうことを思い出させてくれる。
後悔があっても、それはだれを責めることではなくて、つづく日常で自分の選択が変わっていくきっかけになるようにあるだけ。責める方が簡単で。

いままで散々やったなあ。後悔から逃げたいから。

結局は逃げられない。
こういうことがあってありがとうって言えるまで、いろいろな形でおんなじパターンを繰り返す。
人間ってうまく作られているようだ。

推しの引退でなく娘を見ると、
ファンを悲しませるような引退するなんて無責任なインフルエンサーだな。このやろう。娘を泣かせないでくれよって一瞬は感じたけど。その人にも人生があって、いろいろあるんだろう。
彼女にとって推しは支えで、暗い現実をともす少ない光の一つだったのだろう。
将来は暗い&行き詰まった現実世界を生きる彼女は、推しが消えたらどうしようとおびえている。
推しを複数にして防衛している節もある。

楽しくないことをすり込まれがちな学校、受験システムのなかで、自分が生きる世界は暗く行き詰まっている世の中だと見事に思わされている感じがする。
自分も似たような感じだった。でも本当かな?って最近は思う。
娘は、自分の生きる楽しみをバーチャルな世界とのつながりや、推しを見守ることにしている様子。学生って意外に時間がない。手軽なスマホに頼るよね。

大衆操作の観点で、アイドルやインフルエンサーをつかって、成長中で多感な若者の心がエネルギーバンパイアたちや、経済の奴隷たちに、操作されませんようにとか願う気持ちもないではない。
皆が自分の心の美しさや、感じる豊かさを大切にできますようにと母は思う。
だがなるようにしかならない。

でも望みはあっていい。呪いにしない程度に。

とりとめがなさ過ぎる。