esukaransio’s blog

アウトプット練習しようと始めました

やる気はあってもサボる私と小さい私の存在。

鶏の照り焼き弁当を二人前作ったが、良い感じだったのに写真を撮り忘れた。

さておき、部屋をきれいにする、洗濯を気持ちよく洗い上げる。そういう家事と言われるいろいろは、面倒くさいけれど、やれば簡単だと思っていた。
でも頭で考えてもそうはうまくいかない。

母みたいにできないもん。テレビの人みたいにできないもんとか、
という比較がすぐ出てくる。
時代も家も違うのに。変だと思うのに出てくる。
今大人の私なんだが、小さい私がいじけて喉の奥にいるような感覚。

なんだか偉そうな感じな小さい私。
絵にするとかわいいかも。トゲトゲしていじけて強がっている。

そこに声かけるなら、
まあできなくっても良いのよ。やってみようよちょっとだけ。一緒に。
かなあ。(機嫌とってる?)
いまの私もマシュマロマンみたい。
実態が柔らかくてふにゃふにゃで、現実味がなくて、やる気だけあって動かない。
小さい子の方が色があってよりくっきりしている。
こういう状況を作り出して楽しんで、悩んでる感じで、動かない。
できない私に正面から出会わないようにしてる。かっっこわるさ回避法。

動くと出会うであろうできない私にもちゃんと出会って、悔しいなあとか、嫌だなあとか、怒ったりして感じていくしかないような気がしている。
いままでもダメな私に出会ってきたけど、何かのせいにして受け入れていなかった。

おばちゃんになってきたし、大分強くなってる。
心も肉体的にも痛いこと経験したけど生きている。怖がらないでいい、大丈夫。

泣いても怒っても、そこに自分のジャッジさえなければさらりと過ぎ去っていくきがする。どっかのマスターもいっている。やってみよう。

こんなはずじゃなかったとか、怒っちゃかっこ悪いとか、もOK。

やりたいと思うことを、動いて、やってみる。失敗と感じても決着がついて物事は終わって、じわじわ色々感じる自分をみつけて、そこからまたどうしたいのかが始まる。

たまっている片付けられたいモノたち、片付けたいと思ってるモノ。
目に見えるモノも見えないモノもあるけど、
手近な見えるモノから手を付けていこう。

愚痴は色々出てくるし、Vlog、ドラマや、雑誌で見るようなお部屋のすっきり感とはほど遠い。モヤモヤ感じるところを触って揉んで揉んで何が出てくるかな。
ちょっと楽しみになってきた。
さあ今日も書いてる間うだうだサボりました。
気持ちよくウダウダできるように外経絡の家を綺麗にしようっと。