esukaransio’s blog

アウトプット練習しようと始めました

ちゃんと生きなくちゃ



『ちゃんと生きなくちゃ』ちゃんとしなさい!と追い立てられる感覚が表層に上がってきていて、イラッとする。
というか日常のあらゆる場面で自分を査定してきて、疲れさせる。
評価するがわも、されるがわもどっちも自分なのに、自分じゃない感覚。
ちゃんとできてるかの評価基準も曖昧で、幼少期の自分が見ているような、目線からの母のやっていたこと祖母のやっていたこと、言ってたことがなんとなくイメージされる。


日常過ごしている自分は、それに対する反抗心?どうせできない私みたいないじけモードでいるかんじで、やりたいことでもないし、あえてやれない感じにしているような感覚もあり、とっても疲れる。
そこを見ている自分が最近出てきて、やりたいことを力を抜いてやってる時間もある。

ちゃんとしてない人を見るとイライラするし、駄々こねる子どもに腹を立てる自分に腹が立つ。そんな自分に苦しんでたけど、『ちゃんと』の呪縛が今顕著に見えてきて、ああ~そう言う世界に私が居るんだなって見ている。


個性というか、私の持って生まれた特性。

私は役立たずで、周りの重荷で、ダメなんだ。

というシナリオというか志向というか、そんなテーマソングの中に生きているような感じ。そこに触れると痛いのでなんとか回避したくて戦ったり、希望を諦めたりしてきた。


最近なんかちょっと変かな?他の歌でも良くないか?テーマソングも要らないかもよ。という気がしている。
今存在していることがもうすべてで一人でどう頑張ってもここに存在していない事実に思いを及ばせると、私はダメだを隠そうとのたうち回ることもなんか変だと気がついて変なことしてるなーと力が抜ける。
ちゃんと生きるを問い直すと、
私が私のことを丁寧に扱うこと。自分の中に沸き上がる物を見て看て観てそのエネルギーとともに行動していきたいなあと思った。
ちゃんとしなさいって言う呪縛に引っかかったのではなく、そういう呪縛を生まれながらもっていた自分に気がついてきたぞという話。
すべては誰のせいでもなくて、自分の人生の設定に気がついておお!そうか!だからか!となり、で、どうしたい?と自分の中から湧いてくる希望を観て生きたいなあという気持ちになる。