esukaransio’s blog

アウトプット練習しようと始めました

表現意欲の失われたブログ

実がなる木はかわいいと思った。

 

アウトプットの練習をしようと始めたブログ。
しばらくやってたけど、文字での表現に意欲がなくなり。
なんでこういうことをやるのか疑問が出てきて、ブログから遠のき。深く考えるでもなく、ブログ書かなくても日々それなりにやってきた。(ノートに葛藤を書いて自分の本音を見たりはしてきた。)
で、自分と向き合う中で、大きな壁?自分はダメだという思い。RPGの中ボス敵のようなかんじで日常のイライラや落ち込む物事の影?奥に居るのが見え出す。
ブログも、そもそもは自分をよりよくすることや自分をどうにかせねばということから始めている。自覚はないけど。
私はダメだという意識から、やり始めたことだから苦しくなってくる。私はダメだを強く認識することが目的となるから。だから続かなかったんだな。と今、気がついた。

そういう風に何かダメなところからよりよい方にとか、コントロールしようとしながらも違う方へ流れ着いて今がある。
なるようにしかならないのにもがくんだ。
そんな自分で居るのは疲れるけど、そのようにでしか生きられなかったのだから。愛おしい。気がついたらすこしコントロールを辞めて流れに乗っている自分の今を楽しめたら良いなと思った。


 最近はからだのこと體と漢字では書いてきた昔のことを知りうわ~素敵と思った。
いわゆる体は死体を表すときしか使わなかったしそう言う意味の文字という話を聞いて、戦後教育をいじったGHQはすげえなと思った。
でも今そう言う話がいろんな場面で見えてきて、腹が立っていたけど、亡くして初めてありがたさや偉大さに気がつく事もあるなって思う。
当たり前に使ってたら知らない文字の意味、や表記するだけで発する見えないエネルギーにまで思いが及ぶような文字のすごさ。をちょっと感じた。ふつーに生きていて不つーっと思って見ているもの、起こる事象のすべて、それを経験し色々思ったり、感じたりできる自分ってめっちゃ貴重いられて超絶幸運なんだよな。自覚ないのが残念。自覚できたら喜びだらけになる。どっちでも良いんだよねえ。選べるんだよねえ。
贅沢。
めっちゃしょうもないことを喜んでみようと思う。嫌いだと思って居る食器洗いに向き合ってみよう。