言いたいのに、言えないこと。
かこの痛い経験が引き起こしていることは分かる。
過去に
起こったことは。
自分が興味あることを楽しく語った。
きいてきいてー。おもしろいよねー。好きなんだー。
結果、家族に笑われたり、意味分からないとか、おかしいとか言われたことがある。
そこから、今振り返って大人の私が分かることは、
感じ方、興味や好みが違うことを知らなかっただけ。と分かる。
でも、
まだ母と子どもの自分の境界が曖昧だったときだったのだろうな。
違うことが、驚きと、分離感で不安で恐怖すら感じた。
違いは怖い。不安だ。間違った。ダメなんだ。ひとりぼっちな感じがする。という感覚を得たことを振り返るイメージの中で感じる。
そうそう。そんな感覚があった。と。
私の言えないときに発動するパターンは。こうやってできているみたい。
→望みを言ったら、否定された、馬鹿にされた
→悲しい気持ちになった、傷つけれれた、とインプットされたというか、
インプットした。
望みを言うと大事な人から否定される、悲しくなる。
という方程式が今でも発動してしまう。
それは、今に居ないこと。過去ばっかり見てる。
今の私の望みは、感じていることを素直に表現したい。
そんな練習を日々してこう。怖いけど。
結局、怖くてもわいてくる望みに最後まではあらがえないし、抵抗するパワーも無限にはないから。
拒否抵抗も、40年はやったから、、疲れてきた・・・。
この3ヶ月、昨日のイベントに行きたいがいえなくて、体も痛くなったし、ずっともやもやしてた。つかれた。
今回は、相手に理解してほしいという期待が在ることをじーっと見続けて、
ただそんな自分なんだと見続けて。
時間を経て、そこは相手をコントロールすることだから、自分にできないことだし
。とやっとあきらめて。明らかに見るだよね。言葉の通り。
呪いのようにできたとしても、相手に私の思いを理解させるみたいな、人をコントロールする呪いはかけたくない。うれしくないもん。
自分が感じることは自由が良いから。
だから人にも強要したくない。
今回、ちゃんと言えた要因は。
言えないと苦しむ自分を否定しない、焦らせない。
自分の状態をどんどん見続けること。
体もケアすること。
日々ピンとくるメッセージもやってきて、めっちゃ宇宙からも応援されてるって思えたことで孤独感がなかったこと。
でした。
ちょっとづつ自分がはっきりしてくるなあ。