ありのままで、大丈夫。
そう思えないときもあるし、それもありのままで、自分の機嫌がとれない瞬間もあって、残念でも大丈夫。 と自分をなだめて、 そこからまた幸せを感じる事を改めてやる。振り子のようにあっち行きこっちいき。
痛いな~~~逃げたいな~~って意識から焦って変なことすることも多いけども。結局はどこにも逃げられてない笑。
サービス疲れみたいな。
何をやっても相手が機嫌悪いままだと腹が立ってきて相手を責め始めて、全然心地よくない感じになる。 ははは。
子どもに苛ついたり、食欲に走ったり、飲酒したり、自分の機嫌を直すのに結構時間がかかる。
書きながら、 機嫌を直さねば!みたいな感覚もじつは要らないのかもなあ。とも思う。
やけ食いとかって結局機嫌直らないもんなあ。 まあやるよね。
そもそも自分が機嫌が良くないから世界が機嫌悪く見えるだけかな?とかもよぎる。
夫や子どもが、親が、悲しんでる、疲れて当たり散らす、不機嫌な様子を見ると (主観で私の見方の癖かもと・・・後で振り返るとそう思えるけど、最中はなかなか気づけないからやってしまう。) そのまま見てられないような感じで。
幼少の時からの癖かもな。
だからそうならないように、ずっと無意識に相手の意に沿うような行動をしてた?
これって自分の機嫌が悪くなるし、結局周りとの関係性も悪くなるし、ダメだしもう辞めたいって思った。
周りの人の機嫌に左右されそうになったときに、まずは気がついて自分の気持ちに正直に行動したいなと思う。
自動化して癖で行動する前にどう感じてるか、どうしたいのか自分の気持ちにきく!
長年の癖なので、ここに書いて癖を少しづつでも脱いでいきたい!
自分の機嫌は自分でとるって言うけど、機嫌悪いとき、機嫌良くしなくちゃ!もなんか変だし、機嫌の悪さも逃げずに感じて観るしかないのかも。そして湧いてくる物をみる。
人に当たり散らすのはしない。
機嫌のわるさも許せたらいいのだろうな。機嫌が悪いって、感じているって事。
ちゃんと観ていくしかない。嫌な気分になったな。嫌いだな。
以上。
切り替えなきゃとか、違う方をみなきゃとか、これってコントロールで、自己否定も含んでるような。
悲しい。悔しい。感じきっていいんだよ。痛くたって大丈夫。風や波のように通り過ぎていく物だから。
それからどうしたい?って自分を信頼して湧くのを待ってみたい。
また違う世界が見えそうだ。
体の方を整える事も大事だな。機嫌をとるっててっとり早いのは体の緊張やこわばりを観てみること。感じてみること、意識のありようとかも含めて。ゆっくり呼吸して、感じていく。
そういうことを気がつくためのいろいろが起きているのかも。
感謝。