esukaransio’s blog

アウトプット練習しようと始めました

明日学校行きたくないな。

寝る前のひととき。ベッドに入る前に息子が言う。
「明日学校行きたくないな。」
私「だよねえ。わかるよ。今はまだ、明日じゃないから、楽しい話して寝よう。」
そして、ヘンテコな物語を二人で語って一緒に寝るのだ。

幸せな時間。

学校行きたくない気持ちがわかる。胸が痛む。
学校が楽しくないことに怒りすらわいてきてしまう。
家の大事な子をあんなに面白くないところにやってる自分にも、学校があることにも腹が立つ。って出てくる。

実際には自分が通っていた学校でもないし、息子がどれほど楽しくないかも一つも分かっていないんだとは思うけど。
過去の感情とかが絡まって痛む。

役に立つことはあんまり実感できない感じがするし、本当に大事なことからは引き離される感覚すらする学校というシステム。
私が、勉強苦手だったから感じることかもな。評価で傷ついた怒り。。。苦笑。。。

でも学校に依存している親の一人である私。
子どもが学校行っている間は一人で外出したり用事を済ませたり、家を空けられる・・・。
便利。
託児所的なかんじ・・・。

だからそのわたしが自由に行動する間、息子が嫌な思いしてるとかだと、申し訳ない気がする。
この申し訳なさ。罪悪感はなんだろうか。


いつでも、息子には楽しんでいてほしい。
だから学校に行くのが嫌って言われると切ない。
罪悪感があることで、
わたしだって、苦しいくらい息子のことを思っているから許されるのではないか。
と思っている。
分かってほしい。
私は無力なんだ。私もつらいんだという正当化のような感じ?
だから、しょうがないと言うことで納得させたい?

・・・以下、イメージ自己対話・・・・
モヤモヤする。沈殿。たまる。よどむ。あふれ出す。におう。いやだ。不透明。ダーク。にごる。流れの悪い。
でもやはり流れていく。ずっとはよどんでいられない。
抵抗をやめる。流れていく。なるようになる。
それで良かった。そうなるべくしてなったと言う状態になる。
安堵感。
流れを眺める自分がいる。
美しいと感じる、ゆるんで明るくほっとする。

・・・・終了・・・・

息子のことを大事に思っていることを分かってもらいたい。
行かせたくないけどしょうがないんだ。と自分に言い聞かせている。
他に選択肢があることは知っているがそこを選択することを話し合う勇気がない。
夫と、喧嘩になるのではないか、とか、不安を持っている。

そこが苦しかったんだ。

興味関心、好奇心を大事にする、信頼関係や友情を育める機会を大事にする。少人数教育になると思うし、規模が小さい学校が多いから、歴史も浅いし、選択するには見極めがいると思う。そこは話をして、その上で、直感で選ぶんだろうけど。
親子で選択したいなあ。
教育には、親も関わり、人間的に成長できるよう一緒に親も学べたらいいな。
その上で各自が意志を育てて、子どもが選択するなら、いわゆる高等学校的なところ大学とかまで行ける学力を付ける方向に持って行ける教育が良いなあ。
理想があるのね。私。書き出してみたら分かった。
もっと人間の可能性とか、美しさや、楽しさとか大事にできる教育に出会いたい。自分も学んで成長したーーーい。そしたら子どもにもいいし。楽しそう。

書き出したらなんか楽になった。
大事なことを大事だとみていくだけ。不安は不安なんだとみていくだけ。
そこからまた沸いてきたらそこから始まる何か。