esukaransio’s blog

アウトプット練習しようと始めました

嫌いな触れられ方

息子の好きな味噌汁

私は触れるのは好きだったりするのに、触れられるのは嫌なときがある。
家に幼児が居るときはその感覚と常にいる日常だった。違和感に悩んでた。
母を求めるその無邪気な手が起こす感覚が気持ち悪い・・・。母失格だとか、逃げたい、死にたい、いろいろドラマを演じてきた。。いまは苦笑いして振り返れる。


その違和感は、スキンシップ自体の重要性だったり、スキンシップが作り出すものが、命や子どもの成長に関わるものなんだとかを実感していくきっかけになったと思う。違和感がある理由も理解でき受け入れられるようになった。

自分が手を動かして、意思を持って触れるときには主体がある感覚で、心地よいことが多い。
が、触られるときは主体がなくて、自分は違うことに意識が向いてることが多く、不安な感覚が漂う場合が多い。
おもには不慣れなだけなんだと今は理解している。

なので、スキンシップの感覚を練習したい、育てていこうと思っている。

そしたら、触れている相手が嫌がられていることを感じて、受け入れられてないと感じて心地悪くなって、悲しそうにしていた。
へ~こういうときに、つたわるんだなあとびっくりした。

触れ合いってこういうこと~~~~~~。って振り返って今思う。
いままでは触っていただけなのか。
すごい一歩かも。

今まで言葉で言っても、そういう触れ方はやめてほしいと言っても、変わらないし伝わらなかったから。
過去には、嫌なときは嫌って思うより念仏唱えたり、違うことを考えて気をそらしていた。
その後は、念仏でも我慢ができなくなり、嫌なことを説明したり、こうしてほしいと言ったりしてきた。でも変わらなかった。
今振り返ると、相手を非難してるし、こんな自分はおかしいとかもあったし。相手も自分もコントロ-ルしようとしてたな。

本来の自分(自然な状態)になるには感じていくしかないということがちょっとずつ分かって来たかな。

お互いが心地よいふれあい、子どもともパートナーとも作るには自分の感覚、感情に正直に。
で、本との本との本との本音までしっかり出会って行くことが大事だなと思う。
私の場合、嫌って思うのに実は求めていたりした。
あまのじゃくや、拗ねる心とかあった。強すぎる欲求がねじってねじって反対側のように見える行動をだしたりしていた。

私としてはよく頑張ってきたよなと思う。
頑張れたのは、強烈な違和感、不快感に出会えたから。
どうにかしないと苦しすぎた。
自分のことが分からなすぎて混乱していた過去があって、いろんな事を恨んだりを経て、でも自分を知りたいとずっと思い続けられた。
振り返ると、やっぱり悪い事って無いのかも知れないとおもうなあ。