esukaransio’s blog

アウトプット練習しようと始めました

くやしさからの和多志

任天堂スイッチで、一つだけやるゲームで、家族と対戦してコテンパンに負ける。
最初はゲームが楽しいのに、負け続けると、悔しくて胸が苦しくなって、信じられないくらい怒り?惨めさ?いじける?感じがワーッっと内側に湧いてくる。
苦しくて、でもゲーム。画面の中での出来事。
なのにこんなに荒ぶる感情。自己卑下。時間が経って、冷静にみると、変な感じがしてくる。
最中は、くそ~勝ちたい!で、勝ったとして、相手が同じようにいじけてきたり不機嫌になると、怖い。嫌な気分も感じる。
何がしたいんだろうか。
と感じる一幕がある。
自分を馬鹿だと思い込んでる感じがあって、一方でそれを自分でバカを認めたくない感じがする。
最近はいじける場面をよく経験する。
いじける子どもに感情が揺さぶられて怒ったり、自分がいじけるばめんとか。今いじけモードに入った。みたいに感じるけど、あらぶり出す感情に飲まれてしまう感覚。




勝ちたいとか、まけたくないとか、くやしいとか、本音はたぶんどーでも良い。
パズルみたいなゲームなんだけど、それをうまくはめて行くことが、相手と競うことで楽しいんだけど。楽しいだけでいいんだけど。勝敗の一瞬だけで感情は済ませば良いんだけど、悔しさは特に持続する。なんなら、自分が馬鹿なんじゃないか、うまくできなかったところを悔しいとか、こんどこそ! とか色々火に油が注がれる何かが沸いてくる。

それもただ見る、苦しさも逃げたさも、見るしかないんだけど、相手を責めたり、自分を装ったり(平静に振る舞おうとしたり)といろいろやってしまうのも、ただ見るしかないんだけど、見たくなくて、なんでこんなことしてしまうのか?こういう状態になるのか?とか内面でぐるぐるとしそうになる。ていうかしてしまう。
でもほんとうは、これが、ぐるぐると同じところを回る原因なんだろうな。理由を探して自分の感情に目を向けないようにする。

嫌な感情がわくとき、それに巻き込まれていろいろやりたくなる。
嫌な感情がわいた。胸がくるしい。くいしばってる。地団駄踏みたくなってる。暴れたい。恥ずかしい。子どもっぽい。相手にむかつく。きいいいいーーーーっ。おさまらない。やけぐいしたい。というふうにボルテージを上げていく。

子どもがいじけモードに入るとみていられないのが多分答えなんだろう。
本音はいじける自分も受け止めてほしいのだ。
でもできない!ってなっている。
自分の弱さを認めると怖いから。
怖かろうが弱いと感じる部分は消えないし在るのにね。ある物はあるとみる。感じている物はそう感じるなあ。以上。
でしかない。

私の中には本当にいろんな私が居ることをかんじる。
昔の言葉に和多志ということばで、現在よく使うところの『私』を表してたと聞いたことがある。
本当にそうだと感じる。
いろんな感情や気持ち、考え、忖度?無意識?などなどの合わさった存在が本当にここに居るなって思う。
それを認識している物、和を見ている存在がいること。和を見ている存在であれることがふえるとどんなかなあ。
冷めそうな感じがして、ちょっとな?とか思ってる。それって本心かな。
和多志の存在を少しずつみてみたいな。どんな感じがするか知りたいな。ちょっと怖いのかな。未知=怖いっていうのも思い込みっぽいけどな。それもそれで置いておこう。いまは、いじける自分を見たくなくてもがく自分と一緒に居る感じ。
それで甘い物を食べ、機嫌をとったり、目をそらしたり、気分転換したりね。でも居る。いじける自分といじける自分が嫌な自分。
へんだよなあ・・・。それが和多志?なのか?



自分が喜ぶことを探してみようと思って居る。なにが自分を・和多志を、喜ばせるのかな。自分について知らないことが多いなあ。和多志のどれが、何に、どういうふうに喜ぶのかな?。。。奥が深いねえ。

見つけたらかいてみようかな。

花は和多志のどこかをを嬉しくさせる一つ。